写真 |
名称 |
ふりがな |
所在地 |
付帯情報 |
形式 |
諸元 |
建造年 |
文化財 |
出典 |
保存状態 |
価値判断に係る事項 |
保存
評価
| 価値
評価 |
 |
沖浦遺跡の古代製塩遺構 |
おきうら |
広島/呉市(上蒲刈島) |
古代製塩遺跡復元展示館 |
製塩施設 |
|
古墳時代前期~平安中期 |
|
藻塩の会 |
移設、復元/修学旅行生等を対象とした古代製塩の体験(2時間)もできる |
沖浦遺跡の発掘調査(昭和58)で発見された古代の製塩遺構を平成15
に復元展示したもの/写真左側の深い溝の最奥部が古墳時代、写真右側の高い部分にある浅い窪みが奈良~平安期のもの/海藻類を利用した藻塩焼(海水を何度もかけた藻を焼いた塩灰を煮詰める製塩法)を行っていたとされる |
3 |
A |
 |
岡津製塩遺跡 |
おこづ |
福井/小浜市 |
岡津44号塩汲場 |
製塩施設 |
|
古墳時代後期~奈良時代 |
国史跡 |
市教委 |
遺構は地中に保存、地表面に当時の状況を再現 |
5m四方程度の区画(全部で3つある)の中に小さな石板を並べ、その上に素焼きの壷を複数置き、中に濃縮した塩水を入れて薪で焼いて煮詰め、濃縮する作業をくり返したと推測される/生産された塩は、奈良の都へ税(調塩)として納められていた |
2 |
 |
|
|
鹿塩の塩泉 |
かしお、えんせん |
長野/(下伊那)下條村 |
(塩川) |
湧水(塩水) |
|
興国4〔南朝〕(1343) |
村天然 |
信州の文化財/WEB |
明治8、旧徳島藩士・黒部銑次郎氏が岩塩を求めて塩泉の採掘を始め、大掛かりな製塩場を設置 |
伝承は別として、最初に記録に現われるのは、後醍醐天皇の第八皇子・宗良親王が大鹿村大河原に入村当時、塩水を山を越えて御所平(釜沢地区)へ運んだという記述 |
3 |
B |
|
 |
渡波塩田跡地 |
わたりのは・しおだ |
宮城/石巻市 |
|
|
|
江戸初期 |
|
WEB |
舟を借りるしかアクセスできない→2011.3.11の東日本大地震による津波で水没 |
菊地与惣右衛門/下総の行徳塩田の技術を導入して開拓した塩田/領内での塩の自給自足を目指した仙台藩の4ヶ所の入浜式塩田中、最大のもの |
5 |
B |
|
式根島の塩釜・跡 |
しきね |
東京/(大島)新島村
(式根島) |
|
塩釜 |
|
寛永19(1642) |
村旧跡 |
村教委/WEB |
釜の破片が残る |
寛永19に、新島から式根島に塩釜を移し釜衆三元が釜下海岸で製塩を始めたことに由来(年貢として、塩を納めていた) |
4 |
B |
|
松永の入り川 |
まつなが |
広島/福山市 |
松永港 |
クリーク |
長約4.0㎞
→約1.5㎞ |
万治3(1660)頃 |
|
WEB |
半分以上を埋立/ほぼC改修/石垣や太鼓橋が僅かに残る |
松永が万治3(1660)に干拓工事で造成された際に、塩田のための海水の引き込みの目的で造られた水路/塩田廃止後も下駄の原木を運ぶ輸送路として利用されていた |
4 |
B |
 |
賀茂川の切通し |
かも |
広島/竹原市 |
賀茂川 |
切通し |
|
寛政3(1791)
→文化12(1815)頃 |
|
岩屋/村上政行 |
岩盤 |
賀茂川からの土砂流出による河口部の竹原港の埋積と、賀茂川左岸の塩田の塩分低下を防止する目的で、17世紀中頃から検討され始めたもの/河川の付け替えによる河口部の切り通しで、これほど明瞭に確認できる例は稀 |
1 |
A |
 |
野崎浜塩田の大樋 |
のざきはま |
岡山/倉敷市 |
<野崎浜塩田> |
石樋(花崗岩) |
|
文政11(1828) |
|
市教委 |
周辺はコンクリート化 |
塩田に海水を出し入れするユニークな機構をもつ石樋(海面上にはどこにも塩水の入口がない) |
3 |
B |
 |
井口四番浜南丸樋・跡 |
いのくち |
愛媛/今治市(大三島) |
<井口の塩田と海を仕切る堤防外側> |
石樋(花崗岩) |
円弧長12m,上幅0.9m |
天保年間以降(1830~) |
国有形登録 |
WEB |
保存状態やや良好 |
大三島・東岸の塩田用の石樋門/塩田の余水排出が主目的とされるが、同様の構造の岡山の野崎浜の石樋が海水取水用なので、なぜ排水用が必要なのか不明/円弧状の形態は風波による樋の損傷を防ぐため |
2 |
A |
 |
井口三番浜丸樋・跡 |
いのくち |
愛媛/今治市(大三島) |
<井口の塩田と海を仕切る堤防外側> |
石樋(花崗岩) |
円弧長8.5m |
天保年間以降(1830~) |
国有形登録 |
WEB |
保存状態やや良好 |
同上/現存する3樋門中の中程度 |
2 |
B |
 |
井口四番浜北丸樋・跡 |
いのくち |
愛媛/今治市(大三島) |
<井口の塩田と海を仕切る堤防外側> |
石樋(花崗岩) |
円弧長7.8m |
天保年間以降(1830~) |
国有形登録 |
WEB |
改造 |
同上/現存する3樋門中の最小 |
3 |
C |
|
大浦塩田・跡 |
おおうら |
鹿児島/(熊毛)
南種子町(種子島) |
大浦川・河口の湿地帯 |
塩田 |
|
安政4(1857) |
町選定 |
WEB |
残存施設は昭和9のもの |
種子島で初めて塩田式の製塩が始められた場所/松寿院(第23代島主種子島久道夫人)が当時最新の方法で製塩を実践 |
4 |
C |
 |
三田尻塩田旧越中屋釜屋煙突 |
みたじり |
山口/防府市 |
三田尻塩田記念産業公園 |
煙突<塩田石釜> |
高12.5m |
明治末期-大正初期
(材料は江戸期) |
国登録 |
WEB |
平成4に公園化された際に保存修理 |
塩田釜屋内(江戸中期起源)で使用された石釜の石を再利用して造られた煙突/かつて瀬戸内沿岸で盛んに行われていた製塩に関わる希少な遺産 |
1 |
B |